作用と反作用
マドモアゼル愛氏のブログ、「お金の要らない暮らしのプランと実行」という記事を読んで思ったことを少々。
一部抜粋し転載します。
マドモアゼル愛氏のブログ記事は何度か紹介していると思いますが、示唆に富んだ本当に素晴らしい記事が多いです。
我々がユダキンとか1%とかオリガーキとかいう単語で表している「あの連中と取り巻きども」にまさしく今、彼らのやって来たことに対する反作用が目に見えて出ている実感があります。
10代後半から30代前半くらいまで、様々な哲学書宗教書を読み、モルモン教の外人布教師さんに始まって、統一教会のビデオセンターやら、プロテスタントの牧師さんやら、新宗教に入信してみたり、その過程で組織の腐敗や内部分裂やらを目の当たりにしたり、反対に宗教的至高体験を経験したり、まあ、ちょっとここでは書けないようないろんな経験をしました。その中で悟ったことの一つが、神は罰を与えない、バチを当てない、ということです。
正直言ってこのことはガッカリもしたのですが、神は大自然の法則でもあると考えると、不自然なことを起こせるはずも無いのです。
しかし一方で作用反作用の法則もあるわけで、「やられたからやりかえす」のではなく、善行も悪行も行った者のところに自然に返ってくる、というごくごく自然な形で帰ってくるのだということもわかりました。それには瞬間で起こることもあれば、長い年月を経て戻ってくることもあります。
ユダキン一派のようにスケールが大きく、またすぐには自分の所に来ないように複雑な仕組みを構築して、安穏と生活が出来るようにしている場合には、相応の時間が必要になります。
ものごとを永続していくには、やはり天地自然のあり方に則ったやり方をするしかありません。
ものごとはすべて移ろいゆくものでもありますが、その中で改良改善を重ねていくことでも表面上移ろいゆくように見えたりもするでしょう。
恨み辛み嫉みなどネガティブな感情は誰しも持つものですが、それを直接ぶつけることは自他共に傷つけることになります。さりとて、自分の中に押し殺して置いておくことは自分自身を傷つけてしまいます。
それらとどう折り合いを付け、うまく解消し昇華させていくか。そのためにこそ教養や人間性や悟りというものを追究する意味があると思うのです。
一部抜粋し転載します。
これは自然や地球に対してばかりではありません。人類が行ってきたあらゆる蛮行に対する反作用も同時に起こる可能性があります。
彼らははじめ、わざとひどいことを行い、その罰が神から下らないことを認識したのです。罰が下らないと知ると、彼らは自分らの勝手なやり方をさらに追求していきました。そして時代はいつしか、まるで悪魔が動かしているような時代になっていったのです。
しかし、それは罰が下らなかったのではなく、反作用は物理的真実でもあるので、間違いなく、確実に原因をもたらしたところに戻ります。それが唯一の宇宙の法則ですので、誰も避けることはできません。
巧みに人をだまし、自分たちが儲けることを企んで大成功しても、反作用も巧みにおとずれます。だましが上手な人には、表面の成功はそのままに、いくら成功しても絶対に埋められない不幸となってその人に戻ります。誰にもきづかれないズルで儲けたなら、誰にもわからない形での不幸がその人を襲うでしょう。罰ではなくて、反作用なので仕方ないのです。神は誰も罰したりはしません。
すべて反作用となって戻るのです。人を騙して権威を得ても力を持っても、自分も騙される形でその地位を失うでしょう。反作用ですので、確実なのです。
時空間を人工的に変え、反作用の方向をいじって自分らにもどらないような仕組みをおそらく考えた大悪党グループもいるはずです。今のところうまくいっているようにみえても、反作用の法則は絶対ですので、思いもよらない形で戻ってくるものが必ずあります。
人間の存在の原点は喜びです。悪の大成功者はそれを失うことになります。喜びと自己保身は逆相関になりますので、自己保存がうまく、成功すればするに従い、喜びが少なくなります。
マドモアゼル愛氏のブログ記事は何度か紹介していると思いますが、示唆に富んだ本当に素晴らしい記事が多いです。
我々がユダキンとか1%とかオリガーキとかいう単語で表している「あの連中と取り巻きども」にまさしく今、彼らのやって来たことに対する反作用が目に見えて出ている実感があります。
10代後半から30代前半くらいまで、様々な哲学書宗教書を読み、モルモン教の外人布教師さんに始まって、統一教会のビデオセンターやら、プロテスタントの牧師さんやら、新宗教に入信してみたり、その過程で組織の腐敗や内部分裂やらを目の当たりにしたり、反対に宗教的至高体験を経験したり、まあ、ちょっとここでは書けないようないろんな経験をしました。その中で悟ったことの一つが、神は罰を与えない、バチを当てない、ということです。
正直言ってこのことはガッカリもしたのですが、神は大自然の法則でもあると考えると、不自然なことを起こせるはずも無いのです。
しかし一方で作用反作用の法則もあるわけで、「やられたからやりかえす」のではなく、善行も悪行も行った者のところに自然に返ってくる、というごくごく自然な形で帰ってくるのだということもわかりました。それには瞬間で起こることもあれば、長い年月を経て戻ってくることもあります。
ユダキン一派のようにスケールが大きく、またすぐには自分の所に来ないように複雑な仕組みを構築して、安穏と生活が出来るようにしている場合には、相応の時間が必要になります。
ものごとを永続していくには、やはり天地自然のあり方に則ったやり方をするしかありません。
ものごとはすべて移ろいゆくものでもありますが、その中で改良改善を重ねていくことでも表面上移ろいゆくように見えたりもするでしょう。
恨み辛み嫉みなどネガティブな感情は誰しも持つものですが、それを直接ぶつけることは自他共に傷つけることになります。さりとて、自分の中に押し殺して置いておくことは自分自身を傷つけてしまいます。
それらとどう折り合いを付け、うまく解消し昇華させていくか。そのためにこそ教養や人間性や悟りというものを追究する意味があると思うのです。



この記事へのコメント
マドモアゼル愛さんの事は以前こちらで教えて頂いて、こんな方がいるんだ~と感心した覚えがあるのですが、すっかり忘れてしまっていました。
今、愛さんの日記を見たところ、昨日の「現代の総合ストレスに打ち勝つ道」も、とても面白かったです。
本当に大事な事は大衆には教えない。
人々が健康になったり、幸せになったりしないように世の中は動いている様に見える。
(その通り!)
マドモアゼル愛さんに言わせると“キー隠し”ですって。
おっしゃる通りだと思いますー。
ユダキンもその取り巻きも、ホントは知っているのに一番大事なことには触れたがらないし、触れた途端に発狂するので、すぐにわかりますね。
医療系サイトで子宮頚癌ワクチンの工作員キャンペーンがものすごいですが、書いている内容がまったくの工作員文章そのもので笑えてきました。連中、あらゆるところに潜伏していますね。mixiで子宮頚癌ワクチンの疑義を呈した途端に乱暴なコメントを付けられた頃を思い出しました。やり方があの頃と同じで、全く進歩していないんですよ。(笑)
キー隠しというのはまさしく核心を突いていますよね。
どういうルートかは知りませんが、真実に触れた人達はブレないです。